転職をもくろんでみたりする

コピーの仕事も板につき、その他事務用品などの消耗品の管理も任されていた俺では

あるが、正直に言ってこんなくだらない仕事で最低給料の3倍のサラリーを頂いている

ことにものすごい負い目を感じていた。確かにブラジル人よりも丁寧な仕事をしていた

かもしれない。だがこんな仕事だれにでも出来るし、もっとはっきり言えば学の無い人

でも出来る。要するに3最低給料をもらってするような仕事ではないという事だ。

俺が「室長!」「室長!」ともてはやされ、3最低給料をもらっていることに対して誰も

文句を言わないのは俺が留学研修生であり「自分達とは違う立場の人間だ」と思われ

ているからだろう。「なんであいつがあんなに給料をもらっているんだ!」と言われて

こそ本当の仲間としてみてもらえていることになるのではないだろうか?とはいえ

コピー取りをしている状態において「なんであいつの給料が・・・」と言われてしまった

時点で「嫉妬」の対象になってしまうだろうし、場合によったらその嫉妬が嫌悪に

代わり嫌われてしまうかもしれない。だからと言って言葉も喋れるわけじゃないし、

自分に何が出来るのだろうかと考えていた。もし言葉さえできればさらに業務の幅は

広がるだろう。正直彼らの仕事の仕方を見ているととても能率的とは言えない。

例えば俺が担当しているコピー一つとっても、字が薄くてしっかり写らなそうな場合は

そこのコントラストをはっきりとさせてからコピーすればよい。実際に何かを改ざんして

いるわけではないから何も問題ないはずなのに、彼らは何度も何度もコピーを取り

直し、「まだ見えないなぁ」などとやっている。コピーなどはやって見せればすぐに結果

が出て誰にでもどちらが良いかわかるが、そうじゃないものについては「どうするのが

良いか」と「なぜそう思うか」をしっかりと説明できないと説得が難しい。

なのでできるだけ言葉を覚えようと努力した・・・というよりフェリッペの家を出て

しまった今となっては周りに英語を理解する人間など一人もいない(フェリッペは

いるけど)。言葉が分かるようにならなければ話にならない。

何しろYes Noといった言葉さえ英語だと理解されないことがあるのだから、なんと

しても言葉を覚えなければ。

ここで一つブラジル人に関して誤解を解いておかなければならないことがある。

おそらくブラジル人は「楽天的」であり「怠け者」というイメージがあるのではないか

と思う。確かにいろいろなところで「ルーズ」に見える部分はあるが、それは「細かい

事を気にしない」だけであり仕事としてすべきことは実にきちんとするし、かなり勤勉

でさぼることばかり考えているようなずるい奴は少ない。もちろん仕事中に「ちょっと

アイス喰っていこうぜ」等小さなサボタージュをすることはあるが、営業に出るといって

外に行き、仕事をしないで遊んでいるなどという事はまずない。総じていい意味で

プライドの高い人たちだ。ただし「間違いなくそうだ」と言えるのは俺の町に限って

であり、他の町、特に北の方については定かではないが、基本的にブラジル人と

いうのはまじめな人が多く、ずるい人は少ないといっていいだろう。そんなわけだから

仕事に対しては案外と日本人に近い感覚なのではないかと思う。責任感もあるし。

ただ管理する側とされる側の能力や分担がはっきりしているので、さっき俺が言った

ような「業務効率の改善」などというのは「管理職の仕事」になる。つまり俺ごときが

しゃしゃり出られることじゃないという訳だ。

俺が所属するのは一応「総務」のようなところだったので給料日にはたくさんの伝票

をもって他に点在した施設を回り、例えば養鶏場、養豚場、それらの資料を作って

いる畑などなど、もちろん研究所などもいくが、それらで働いている人に給与明細を

届け、受け取りにサインをもらってこなければならない。なのでペルナアズール社が

この地域に所有する各施設を見て回ることが出来るのだが、どこを見てもそれなりに

知識、経験が必要か言葉が重要なところばかり。養鶏場や養豚場の餌やりなどは

できそうかと思ったのだが、動物たちの状態などを案外細かくチェックしなければ

いけないうえに、それに伴った専門知識が必要なようなのだ。どうしようか思案に

暮れていると、一つ「これならいいかも」と思えるものを見つけた。サイロ係だ。

実際はなんという係なのか知らない(養鶏場とひとまとめにされていたので)が、

トラックに満載されてくる麻袋に入った飼料をトラックから降ろし、それを一度積み上

げてからサイロの状況に応じて減っている場合はその麻袋を開き補充するのだ。

皆から給与明細にサインをもらって事務所に帰ってくると、「サイロ係として働きたい

んだけど」と皆に言うと「あんなのはファベ―ラの人の仕事だぞ」とか「なんでわざわざ

そんなことがしたいんだ」とか、とにかく絶対やめろの大合唱。際下層労働者の仕事で

あるのもさることながら、「やたらときつい」のが分かっているのに自ら進んでそんな

ことをやることは無いというのがみんなの意見だった。その夜ジョイのところでお客に

酒を運びながら、なじみの客に「俺サイロ係で働きたいんだけど、どう思う?」と聞いて

回った。全員「お前頭おかしいのか?」という反応だった。一人など「お前はどうして

貧しくなったり苦労したりするのが好きなんだよ?デニーゼとラジカセ交換しただろう。

あれだって意味が分からないと俺たちの間で俺たちの間でもすごいうわさになって

いたんだぜ」と言われた。実はこの「デニーゼと交換した」というのは少し正確では

ない。デニーゼに交換してくれるよう頼んだが、断られてルシアノと交換したのだ。

ブラジルでラジカセと言えば、日本で昭和4050年代に多かったスピーカーが一つの

ものが一般的、というかそれしかなかった。俺はブラジルに渡るにあたり、高級では

ないがスピーカーが二つの小さなパナソニック製のステレオラジカセを持参していた。

当然ブラジルのそれよりも良いものではあるが、ブラジルではワンスピーカーの古い

ラジカセが一般的ならそちらにしたいと思い、デニーゼに交換してくれと頼んだのだ。

そうしたらデニーゼは「なぜ交換したいんだ」「お前のラジカセのほうがはるかにいい

ものじゃないか」と、質問攻めにした挙句、「そんな取引はニコにとって損にしか

ならないからやめたほうがいい」と言って取り換えてくれなかったのだ。仕方がない

からルシアノに頼んだところ、ほぼデニーゼと同じ反応だったのだが、最後は「本当に

いいのか」「後悔しないな」「あとでやっぱりやめたといってもダメだからな!!」と言い

つつ交換してくれた。翌日ルシアノが会社でその話をしていると、デニーゼが「ルシ

アノなんかと交換するんだったらあたしが交換しておくべきだった!あれほど何の

得にもならない取引だと説得したのに!ニコのバカ!!」とぷんぷんしていたのが

かわいかった。まぁそれはいいとして、このラジカセの件はとにかく自分が不利になる

ような取引を喜んでするという事が、ブラジル人にとって全く持って信じられなかった

らしく、あっという間にうわさ話として広がって夜ジョイのところで働いているとよく

知らないやつにまで「日本製のもので何か交換したいものがあったらまず最初に

俺に声をかけてくれ」と何度言われたことか・・・。とにかくブラジル製のラジカセよりも

日本製のラジカセのほうがはるかにいいし、最下層労働者の仕事であるサイロ係と、

みんなもうらやむ事務所で仕事をするのであれば当然事務所のほうがいいに

決まっている。第一そういう風になりたくて努力しているのに、なんでわざわざ

つらい思いをするのかが全く理解できないというのが彼らの言い分だ。全くその

通り。逆に俺がそういう事を望んでいるのを「ブラジル人を馬鹿にしているのか」と

言って文句を言ってきたやつもいるほどだ。いずれにしろ全員に反対された。

その日俺は店の冷蔵庫からビール1本とスコッチをコップになみなみ一杯拝借し

ホテルの部屋に戻ってベッドに座りどうするか考えてみた。確かにバカなことだ。

本来もし俺が本当にいきなりこの地に放り出されたのだとしたらどうだろう。

言葉も喋れなければ取り立てて自慢できる資格もないし経験もない。生きていく

ためには仕事をしなければならないが、おそらく今の俺が手にできる仕事は本当に

あの「サイロ係」のようなものしかないのではないだろうか。そしてもしそこに職を得た

とき「このままずっとここにいたい」などと思うだろうか。絶対にそんなことは無い。

一刻も早くこんな仕事から抜け出られるように努力し、アピールするだろう。

そう考えると「そんな仕事がしたい」などと言えるのは3最低給料が保証されている

からで、ある意味その仕事を馬鹿にしているからと思われても仕方がない。

どうしたものだろう・・・。

翌日会社に行くとジュマールを探したが居なかったのでロリスに「話がある」と言って

時間を取ってもらった。ロリスの前に座るとロリスは開口一番「サイロ係のことじゃ

ないだろうな」といった。ばれていた。素直にそうだというと、それは認められないと

いう。研修生にサイロ係をやらせるなど聞いたことがないし怪我でもされたら大変だ

というのだ。何とか説得したいが言葉が出てこないし分からない。仕方がないから

「ウン ジーア ポルファボール(一日だけお願い!!)」と繰り返していると、ロリスは

根負けして「体験という事でやらせてやる」と言ってくれた。

翌日会社に向かうバスの中で、ジェルソンが「今日サイロに行くからな」といった。

本当は養鶏場などがあるほうに行くのは別のバスなのだ。しかもサイロのあたりは

ファベ―ラと言ってスラム街があるところで、そこで働いているのはスラムの連中

なのだ。なのでそこに行く専用のバスは無く、俺のためにあえて同じ方面に行くバス

が「ついでにサイロによって降ろしてくれる」のだ。だが最初はジェルソンと一緒に

俺を紹介してもらいに行くという算段になっているので、まずはいつも通り事務所に

行って会社の車でジェルソンに送ってもらうことになっている。サイロに向かう車の

中でジェルソンが「まさかファベ―ラに住みたいとか言い出すなよな」といった。

ジェイソンはとてもいいやつで人を差別するようなやつではないのだが、その言葉には

少しだけスラムの連中を疎むというか下に見ているように感じられる雰囲気があった。

エストラーダを外れ砂利道(泥道)を少し走るとサイロがある。サイロと言ってもとんがり

屋根のロケットのようなものではなく大きな倉庫みたいなものだ。

日本では「カントリーエレベーター」とか呼ばれているものに近いだろう。

車を前に止め、薄暗い内部に入ってジェルソンが「おーい」と声をかけたが誰も反応

しない。ただラジオだけがかなり大きな音でなっていて、今はアナウンサーかDJ

知らないが、誰かが早口のポルトガル語で何かをがなり立てていた。

再びジェルソンが声をかけると、奥からボロボロのTシャツに短パン、もじゃもじゃの

髪の毛に穀物の誇りを付けたみすぼらしい男が擦り切れて薄くなったサンダルを

履いて現れた。ジェルソンがそいつに向かって「カルロスか?」と聞くとそいつは黙って

うなずいた。どうやらお互いに面識はないようだが、相手が目的とするカルロスだと

わかるとジェルソンは早口で何かをカルロスに伝え、何度も「わかったか?」という

ように念を押し、相手がうなずくのを確認していた。一通り話し終えたジェルソンが俺の

ところに来て「こいつはカルロス、お前の同僚だ。他にも数名いるらしい。お前の仕事は

トラックが着いたらそこに積まれた飼料袋をここにおろして、中身をサイロの中に入れる

ことだ」といった。了解の意味も込めて親指を立てジェルソンの顔の前に突き出すと

「お前本当にこんなところで働くつもりなのか」という。カルロスの目の前だったので

そんないい方しないほうがいいのになと思ったが、カルロスは全く気に止めた様子が

ない。「信じられないよ」というように天を仰いで両手を上げつつジェルソンは車に乗り

込み、Uターンすることなくしばらくバックで遠ざかっていった。


次章 最下層労働者としてサイロに職を得る  に続く